苺農家としての歩み始めた道
沖縄初の苺ブランドを!
宜野座村
徳元 幸代さん
苺農家
徳元 幸代さん
苺農家
2020.06.25
苺の生産地として最近よく聞くようになった宜野座村。そこで苺農家としていちご狩りができるハウスを運営しているのがやんばるいちご園の徳元さん。沖縄初の苺ブランドを立ち上げたいと熱い思いを抱く徳元さんの苺農家としての道のりを取材しました。
農業を始めたきっかけは身内に余っていた畑があり、そこでじゃがいもとゴーヤーを栽培したことがきっかけです。栽培していくと中々プロが作るような農作物ができなかったので、もっと美味しくて質の良い農作物を作りたいと思い、宜野座村にある育成センターに2年間通って学びました。
もとは介護職していたのですが、育成センターに入ってこれから自分で農業を営もうと考えた時に、宜野座村といえば苺というイメージはずっとあったもので、農業をするなら絶対苺だと思っていました。当時は苺農園も少なく、私自身も苺狩りしようと申し込んだのですが、人気でなかなか体験できませんでした。宜野座村自体も苺を特産物として推進していることもあり、苺農家として農業に携わろうと思いました。育成センターでの1年目はいちご狩り自体が私には向いていないと思い、葛藤しながら学んでいました。それは、いちご狩りをする時にお客様に説明するのが、私自身苦手だったので不安がありました。それでも先輩方からの後押しもあって、まずは出荷までやってみました。それから育成センターのサポートのもと、小さな成功体験を積み上げていくうちにだんだん自信もついてきました。
育成センターは2年までなのでそこから農家として創業しようと農地探しに奔走しました。
ところが、土地探しにとても苦しみました。実は諦めてもいたくらいです(笑)。 宜野座村には小さな農地はたくさんありましたが、イチゴ狩りができるこの規模の土地はが中々貸してもらえなくて途方に暮れていました。そしたら、役場の皆さんが協力して探してくれて、いちご狩りができる規模の土地を何とか見つけてくれました。宜野座村は昔から農業に力を入れている事と現在、苺農家の普及に力を注いでいるタイミングもあってすごくサポートしてくれました。農家になって良かったと思える時は、手間隙にかけて作った苺を美味しいといってくれた時で、それまでの苦労が吹っ飛んで嬉しさと達成感があります。とてもやりがいのあり仕事だと思います。一方ではもっとできるのではないという農家としての想いもあります。
沖縄の苺は本当に美味しいと思っています。特に宜野座の苺は(笑)。よく他県の苺ブランドの品種がありますが、沖縄に輸送することで鮮度や身が崩れたりします。同等の苺が作れているという認識はありますので、沖縄の苺が。美味しいといってくれる日が必ず来ると信じています。品種改良はとても大変なことなのですぐにはできないことですが、周りの苺農家とはそういったいつかは宜野座ブランドの苺をという話が出たりします。
私はいちご狩りを通して宜野座村の苺ブランドが日本国内でも有名になれるよう日々頑張りたい。物静かな印象の徳元さんだが、苺栽培や未来の話をする目はとてもキラキラしていました。宜野座の苺を愛する農家として、これからも歩みを続けるのでしょう。きっと宜野座村の苺ブランドが全国でも有数なブランドになる日が来るとワクワクした取材でした。