人との縁を大切にすること
強い信念と行動力が道を切り開く

宮古島

根間 良光さん

(有)農業生産法人亜熱帯工房 宮古島 & 畑の中のジュース屋さん

2021.06.03

根間良光さんは宮古島で2代目農家として、現在はマンゴー栽培をしています。その学生時代は両親から農家を継ぐことを反対され農家としての道を模索し奮闘していたそうです。農家としての道を切り拓いたのは、持ち前の強い信念と行動力、そして素晴らしい人との出会いからでした。そんな根間さんの農家としての歩みを振り返ってもらいました。


農業と隣り合わせの生活で育つ
農家として生計を立てる厳しさを実感

農業と隣り合わせの生活で育つ
農家として生計を立てる厳しさを実感

私の家は父が兼業農家だったこともあり、私は幼い頃から父の手伝いでサトウキビの手入れを手伝うなど農業と隣り合わせにある生活を過ごしていました。そんな生活を過ごしながら農業が主要産業である宮古島で私自身も家業である農家を継ぐと思っていました。しかし私が幼少期に間伐や度重なる大型台風の猛威が宮古島を襲い、衝撃的な出来事が起こりました。


「宮古島から人口が減るということが起きた。かなりショックでした。」

干ばつによって農作物は育たないので、農業従事者は収益が得られなかったのです。そうなると、農家人口が減りはじめ、経済までも停滞してしまいました。私の親戚もいましたが、沖縄本島など島外へ出稼ぎに行く人が増えました。その年の宮古島の人口が減少したのです。幼少期の脳裏に残る出来事で、農家を営むことの厳しさを実感した時でもありました。

農業への興味が深まる学生時代
反対する父を説得し農家の道へ

先ほど話したように父は兼業農家で、農業だけで生計を立てるのが厳しい時代だったこともあり、別の職業と兼業で農家を営んでいました。私は農家としての厳しさを知っている父に「農家を職業にするな」と散々言われて育ってきました。 そして宮古農林高校(現在は宮古総合実業高校)へ進学し土木建築科を専攻していました。当時は父の教えに沿って農業とは異なる勉学に励んでいました。学生生活を送りながらもライフワークである農業への興味を断つことができずに農業の授業を受講していました。幼い頃から慣れ親しんだ農業に将来の夢を描いていたので、農業の授業はとても興味深い内容ばかりで、自然と農業専攻の授業ばかりを受講していました。


「将来は農家として生きていきたい」

様々な授業を受講していくうちに、農業についての疑問から、その答えを探すために「農家を職業にしたい!」という就農への想いが目覚めました。このまま両親に隠して受講するは良くないと思い、農業を学びたいと両親に何度も私自身の想いを伝え続けました。そして、卒業時にはその想いが伝わり農家への道を理解してもらい、高校を卒業して沖縄県の農業大学校へ進学することができました。

行動力が生んだ恩師との縁
農業を営むことを決心する。

行動力が生んだ恩師との縁
農業を営むことを決心する。

農業大学校へ進学してからは、農業をひたすら学ぶ日々でした。そこでは琉球大学の教授などが講師をしており、より専門的な知識が学べるので、農業に関する興味がどんどん深まっていきました。そして、専門書や授業で学ぶことだけでは満足できなくて、日本全国の農業を学びたいという思いが強くなっていき、とうとう住み込みでメロン栽培を勉強しに行きました(笑)
住み込み先の農家では、栽培の実践的なノウハウを学びました。その農家の方には、私の農業への考えや未来について想いを聞いてもらい、アドバイスなどをいただいたりしていました。そして、私自身農家としての人生を決定づける恩師と出会うことができました。


「沖縄から農業に対する熱意のある面白いヤツが来てるよ。会って話を聞いてやって」

住み込み先の農家から東京農業大学の米安晟先生を紹介してもらい、私もすぐに会いに行きました。先生にはこれまで学んできた事から農業こと。未来のこと、私自身が国内の農家を学ぶだけでなく、沖縄県の県費留学で世界の農業も学びたいと考えていることなど、思いのままにお話しさせていただきました。すると先生から運命のひと声が

「世界を見るのも良いが、熱い思いがある時に自営しなさい。自営を実践していくことで見える世界がある。
強い想いがあるうちにその業界に足を踏み入れることも1つの選択肢だよ」

私自身の思いを受け止めてくれて、農業を営む厳しさを知っている(仮)よしやす先生が私の背中を押す一言が胸にささりました。私は農家として歩みを始めようと決心した時でした。

必死に取り組んだ農家としての日々
自立への道が見えてくる

それから21歳の時にメロン栽培を始めました。当時はメロン栽培だけでは生計が立てられないので、アルバイトをしながらの兼業農家でした。朝から畑に行ってメロンの手入れを行い、それからアルバイトへ通っていました。そんな日々を過ごしていきながらも、ちょっとづつ成長してメロン栽培に農家としての手応えも感じていました。生産量も販路先も増えてきた2年後には、宮古島に大きく展開し始めた大手スーパーの島内販売の販路を開拓することができました。その時から農家としての自立の道が見えた気がします。そして23歳の時に柱となるメロン栽培を行いながら、現在も行っているマンゴー栽培を始めました。

マンゴー栽培一本で歩む
農家としてのこれから

マンゴー栽培一本で歩む
農家としてのこれから

マンゴー栽培を始めたきっかけは、マンゴー栽培をしていた知人から食べさせてもらったマンゴーが美味しかったからです。1人の人間として素直な「美味しい」という感覚がこの果物を栽培したいという私の探究心を掻き立てたのです。そこからは夏はマンゴー栽培、冬はメロン栽培と2つの農作物の栽培を始めました。
マンゴー栽培をスタートしてからは研究の日々でした。専門書や実例がなかなかないマンゴーの栽培にとても苦戦しました。当時は宮古島の土壌がマンゴー栽培には向いていないともいわれていました。一般的にはマンゴー栽培の技術の習得も10年かかると言われていたましたので、その年ごとに栽培方法を積み上げていき、36歳の時にマンゴー栽培のみで農家としてやっていこうと決心しました。

行動することで道が拓く、
人の生の声を聞くこと

現在、新型コロナ感染拡大で宮古島への観光客は減ってしまって、併設しているパーラーは閉めています。それでも私ができることは、マンゴー農家として日々マンゴーを供給し続けること。これまでも農家として歩んできた人生には何度も苦しい事はたくさんありました。それでも行動してきた結果、全て良い農家人生につながっていると思っています。

「縁が輪を作り運を成す」
「立ち止まらないで行動する。行動する事で責任が生まれ、それがパワーになる」
「農家としての軌跡が、栽培したマンゴーに映し出される」

これからの農業は農家を経営する人の心が作った農作物に映し出されると思っています。これから農業やる人たちにもそのことは伝えたいです。人との縁を大切にし、行動することで未来は切り拓けるはずです。


強い信念と行動力で未来を切り拓いた根間さん。農家としての根幹には出会った人とのご縁と「人の生の声を聞くこと」を大切にするという人間性の素晴らしさ、人間としての強さを感じた取材でした。

DATA

名称
有限会社 農業生産法人 亜熱帯工房宮古島
所在地
沖縄県宮古島市下地上地33
品目
マンゴー
H P
https://sites.google.com/site/nemamangofarm/